ダーシー氏の従兄弟、フィッツウィリアム大佐。伯爵家の息子。
ダーシー氏とは異なり、愛想のいい紳士。エリザベスに我知らず、ジェインとビングリー氏の仲を裂いたのがダーシー氏であることを知らせる立場になります。
『高慢と偏見』におけるフィッツウィリアム大佐
歳は三十ぐらい、美男子ではないが、風采も物腰も見るからに紳士然としていた。(一部省略)フィッツウィリアム大佐はいかにも育ちの良い人らしく気さくにすぐさま皆と話を始め、その話しぶりはたいへん快活で愛想がよかった。(p296)
第一印象が非常に良いフィッツウィリアム大佐。
ビングリー氏の時と同様に隣に高慢な態度のダーシー氏がいるとその隣にいる人は皆、愛想よくなるというマジックでしょうか。
フィッツウィリアム大佐の態度振舞は牧師館の人達から大いに称賛され、女性たちからは、あの人がいればロウジングス邸での会合も随分と楽しいものになるに違いないと思われた。
いずれにしろ、フィッツウィリアム大佐は皆に愛されています。
ビングリー氏に似ているところもありますね。
フィッツウィリアム大佐はエリザベスに恋をしていたのか?
大佐にとってはロウジングス邸で目にするものは何でも嬉しい気晴らしの対象になったが、ミセス・コリンズの美しい友人も今や大のお気に入りであった。(p299)
その一方でフィッツウィリアム大佐はこのように語っています。
「(伯爵家の)次男三男は好きな女性が出来ても好きなだけでは結婚出来ないんだから」
それに対してエリザベスはわたしが貧乏なことを指摘しているのかしら?と思い悩みます。
僕達は贅沢な暮しに慣れていますからね、どうしても金持の懐を当てにし過ぎるところがある。僕達の階級の者で、金のことを度外視して結婚する余裕のある者は、そう多くはいやしないんです。
逆に言いますとビングリー氏やダーシー氏は金のことを度外視して結婚するだけの財力があったともいえるでしょう。
ジェイン・オースティン以外の作者が書いた『高慢と偏見』の続編を何冊か読んでみましたが、大概はフィッツウィリアム大佐がエリザベスに恋をしていたが、しかし、彼には財産がなかったため恋だけでは彼女と結婚出来なかったと綴っていることが多いように感じます。
実際のところ、フィッツウィリアム大佐はエリザベスに恋をしていたのかは甚だ怪しいんじゃないかしら?と思っています。
もちろん、フィッツウィリアム大佐はエリザベスを好ましくは思っていたでしょうが、その好ましさは美しい花を愛でるような感覚だったのではないか、と思います。「見た、美しい」と。
フィッツウィリアム大佐を演じた俳優
『高慢と偏見』(1940年) | ー |
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『高慢と偏見』(1995年) | アンソニー・カルフ( Anthony Calf ) |
『プライドと偏見』(2005年) | コーネリアス・ブース( Cornelius Booth ) |
『高慢と偏見とゾンビ』(2016年) | ー |
正直なところ『プライドと偏見』でのフィッツウィリアム大佐はほとんど記憶がなくてですね(汗)、一方、BBC版のフィッツウィリアム大佐は非常に印象的です。
個人的には彼はダーシー氏を演じたコリン・ファースよりも正統派のイケメンだったのではないかしら?と思っていました。
演じたアンソニー・カルフは老いたりといえど今でもシュッとした風貌をしていますね。若いころはさぞイケメンだったに違いないと思わせる容貌です。主にテレビと舞台で活躍しています。
さて、フィッツウィリアム大佐。
作品によっては登場しないこともありますが、フィッツウィリアム大佐の存在はいろいろな意味でわたしにとっては興味深い存在です。
少なくともビングリー氏よりは彼のことをもっと知りたい!と思わせるものがありますね。
この時代、財産を相続できない次男以下の男の生きざまは大変だったのだろう、と想像することは難しくありません。
ベネット家の限嗣相続も含め、一家の財産を霧散させなたいめの考えだとは理解できますが、もう少し融通を利かせる道もあったのではないかしら?と(実際にはあったのかもしれませんが…)。
でも、この財産を相続できないがゆえにいろいろとドラマができあがるのですけれどね…!
ほら、『ダウントン・アビー』のように。
つくづく、当時のイギリス上流社会の会話の大概は「財産」と「相続」の二文字だったに違いません…!